2013年3月27日水曜日

いつから水漏れ??

「水道配管から水が漏れているので見て欲しい!」
と言うお電話を頂いて急いで現地へ伺いました。
 

例年に無い春日が続いて「もう大丈夫!」
凍結防止帯を抜いてしまったオーナー様。
 
急にやってきた寒波にやられてしまったのか
翌日ツララが出来るほどほ水が
床下のあちこちからポタポタと垂れていました。
 
ただ、いくら確認しても給水管から漏れている
場所が見つからず、一つの結論がでました。
 
「水道管は破裂していない!」
 
では、なんで水が漏れてるの??となるのですが、
恐らくずーっと前から水は漏れていたと推察します。
 
水漏れヶ所の真上は浴室にあたり、
鉄骨造のデッキプレート上にそのまま浴室を
作っているようでした。
 
おそらく、浴室下地に防水処理がなされていないか
防水がきれてしまったか・・・
 
よくよくはなしを聞くと10年前にも漏れたことがあるようで、
そのあとおさまったので放置していたそうです。
 
お住まいになって10年、
多分いままでずっ~と漏れ続けていたのでしょう。
水漏れヶ所に近い場所の鉄骨はサビているのと
基礎部分には水で白化した形跡がありました。
 
オーナーがぼそっと言いました
 
「この家は土地のことを知らない人がつくっから
あちこちが欠陥だらけで・・・・」
 
バブル時代に建てられたお家らしく
レンガ風の素敵なお家なのですが、
床下の防止帯の処理など見ても
とても残念な気がしました・・・・
 
基本的にしっかりとした処理をしないと
いけないと思うので今後は
ご希望にそうようにサポートしていこうと思います。
 
 
 
 



 

2013年3月21日木曜日

H邸 雨上がり後の凍結!

数日前まで暖かくなって
またやってきた寒波はあちこちに
爪痕を残していきました。
 
今回は3月の雨上がりにやってきた寒波で
水気たっぷりの土が凍結してしまいました。
土が膨張してレンガを押し出してしまいました。
 
 
その結果、レンガ積みのしてあった擁壁が
斜めに傾いてしまい、
ぐらぐら状態になっています。

 
ご年配のご夫妻から、いつ崩れるか怖いので
新たにコンクリートの壁を造って欲しい言うご要望です。
 
安心して頂けるような工事をしたいと思います。

2013年3月11日月曜日

「忘れちゃだめだっぺ」

2年前の今日、東北で起きた震災のことは
やっぱりわすれちゃいけない。
 
亡くなられた方のご冥福を
心からお祈り申し上げます。
 
自己満足になるので、書くか迷ったのですが、
「書かないよりか、忘れかけたことに罪悪感が
湧いてくる日を思ったら書いた方がましだっぺ」
っともう一人の自分が言ってるので
もうすぐ12日になってしまう前に
震災当時に感じていたことを
やっぱり忘れないように書いておこうと思います。
 
2年前1426分は
当時の勤め先で仕事をしていました。
 
あまり揺れることのない八ヶ岳
こんなに揺れるとなると
震源地は大変なことになってるんじゃないか!?
と思い、近くにあったTVをつけました。
 
数分後に停電になるのですが、
目に入ってきたのは
中学生時代部活で散々走ってきた
津波が襲い
車が沢山流されていく場面でした。
 
字幕になじみのある港の名前が
目に入る前に気がつきました。
 
鳥肌が立ちました。
 
情報がもっと欲しい!!
と思うのと同時に停電になり
まったく状況がつかめなくなりました。

まさか自分の田舎が・・・・
 
すぐに頭に浮かんだのは
故郷に住む家族の安否。
 
特に妹の家は海岸から歩いて数分
潮風の漂う場所、
 
そこから約200メートルのところに兄の家
さらに内部にいくと両親の家
 
直ぐに身内に電話をかけて安否を
確認したくてもまったくつながらない状態でした。
やっぱりだめなのか!?
津波にのまれてしまったのか!?
不安が胸をよぎり落ち着かない状態でした。
 
何度も何度もかけ続け、
1時間後
奇跡的に最初につながったのが妹でした。
 
「どうした?大丈夫??」
 
の問いかけに妹は
 
「もうぐちゃぐちゃ、家に住めないよぉ~」
 
と泣きながら答えていたのを鮮明に覚えてます。
 
すぐに近くの小学校のグラウンドに避難して
近くに住む義理の姉と一緒であることは確認できました。
ただ、本人も家族の誰とも連絡がついていない様子で
誰の安否も確認出来ていない状態でした。
 
こんな思いをした人が必死になって
電話をかけていたら確かに電話はパンク状態でしょう。
それでも必死に電話かけ続けました。
 
次に電話がつながったのは兄でした。
勤務先にいた兄もまた誰とも連絡がついておらず、
妹と兄家族も無事であることを伝えました。
兄の勤務先は港の近く、
 
「海の水がどんどん引いていってる」
 
と言っていたのも鮮明に覚えています。
色々と状況を聞きたい気持ちもあったのですが、
 
「今、会社が大変だから・・・また」

といって兄は電話をきりました。
 
兄との電話の後はしばらく誰とも
連絡がつかなくなりました。
 
保育園にいた長男と共に自宅に戻ると
家内の車は無く、
駐車場にサイドミラーが転がっていていました。
程なく家内が娘を連れて戻ってきました。
サイドミラーが転がっていた理由を聞くと
最初の揺れの後、慌てて施設に預けていた
娘を迎えに出たそうで、出庫する際に
2度目の揺れにあって壁にぶつけてしまったとのこと。
大事がなくてホントよかった。
 
その後、あきらめず電話をかけ続け、
ようやく実家の両親と叔母に連絡がつき、
海の近くに住む家族については
全員安全の確認ができました。
 
叔母へは妹と義理の姉、
兄の安全と居場所を伝えました。
 
叔母に状況を聞くと
家の中は兎に角グチャグチャだと言うこと
津波は大丈夫だったということ
余震が続いているということ
 
私ができることは、自分の知識で
アドバイスすることしかできませんでした。
 
まず、がもうすぐ止まるはず、
もし水が止まったら、兄の家と妹の家は
エコキュートだからそのタンクに入っている水を
使うように言いました。
 
それから兄の家には太陽光パネルがあるので
少ない電力ならそれでまかなえることと、
携帯電話充電を欠かさずするように指示しました。
 
それから直ぐに近くのスーパーに食料の調達へ行くように
アドバイスをして、叔母はその後すぐにいったようです。
 
夜がやってきました。
停電の高原は怖いくらいに真っ暗です。
有り難いことに我が家には
薪ストーブ蓄熱暖房があったので
寒さに震えることはありませんでした。
食事も近くのコンビニで食料を
調達しておいたので特に困ることはありませんでした。
ただ、この停電がいつまでつづくのか・・・
不安に思ったのを覚えています。
 
決して眠れる心境ではありませんでした。
弟の安否の確認が取れていません・・・
 
家族が寝静まった後
カーナビの付いた車に乗り、
ワンセグが受信出来る隣の市まで
車で移動をして情報を得ました。
 
映像は誰もが知るように
想像を絶する内容でした。
ただ、どうすることも出来ず
家に戻り、連絡の取れていない
弟、親戚の安否を祈るばかりでした。
 
翌朝、震災の影響は我が家にも・・・
我が家のエコキュートが停電のため凍結していました。
まったく、プロのくせに
自宅のことをまったくきにしていませんでした。
 
もちろん、同じような事故が
ご近所のあちこちで多発していました。
その日の私の仕事は
停電の影響で困っていたお客さんたちの
アフターメンテに駆回りました。
 
そんな中、ラジオからとんでもない情報が・・・
 
福島第一原発
 
実家の近くにも原研がある・・・
 
車を止めて再び電話をかけまくり
だれでもいいからつながれっ!
と必死になっていました。
 
兄の携帯電話の留守番メッセージへ
 
「そとに出ないでください。窓も閉めて!」
 
これしか入れることができませんでした。
 
あとで話を聞いたところ、
やっぱり何の意味かわからなかったそうです。
 
被災地側はまったくと言って情報が入って
来ていない状況で、原発のことなどは
後で知ったようです。
 
2日目に再度、叔母と連絡がつき、
叔母、兄の家族、妹の家族とも
両親の家に避難したということでした。
 
その後、弟の安全も確認でき、
叔父、叔父の家族も無事が確認できました。
叔父に確認したところ、近くの原発は
津波の影響は受けず、地震の際に
緊急停止をしたそうでした。
 
徐々に状況がわかるにつれて
私の心も揺れ動きました。
 
電気がない
水がでない
ガスもない
食料もない
 
今すぐ救援物資をもって現地に向かいたい!
でも現地に向かう道が落石などで通行止
 
運輸会社に勤めている友人に状況を聞いても
今は無理だという回答でした。
 
ただ、いつでも物資を送れるようにと
買い出しだけはしておこうと
お店にいったものの
あらゆる物が品切れ状態・・・・
 
せめてだけでもと
小さな売店、目立たない場所の自販機も
あたりましたが全て売り切れ・・・
 
TVを見ると自衛隊が被災地各地へ
救援に向かっている様子が見受けられました。
 
物流もたたれ、あとは自衛隊の救援がくるのを
待つしか無いのか・・・
 
実家へは、もうすぐ自衛隊がくるから
それまで我慢してねとだけしか言えませんでした。
 
これも後からきいたのですが、
結局、自衛隊は来なかったそうです。
 
自衛隊が行ったのは、もっと内陸部の
被害の少なかった場所で、
被害の多かった沿岸部には来なかった・・・・
 
そのあと新聞ニュースにもなりましたが、
実家のエリアは地方局がないため、
ニュースに出ることも、
被害状況も報道されることがほとんどなく、
被災地支援が十分でなかったことを
嘆いた投稿が多々あったのを目にしました。
 
私が最初に見た地元の映像はたまたま
だったようです。
 
被害の多かった地域よりも
復旧の早かった地方の報道
が多かったのをイライラしながら見ていたのを
思い出しました。
 
実家での避難生活はしばらく続いていました。
ガソリンもなく何処にも移動できない。
トイレの水が流れないので
近くのドブ川に行ってバケツで水をくみ上げ
トイレタンクに入れて用を足していたそうです。
 
「大丈夫だよ」

と言っていた母が
 
「出来れば水と食料を送ってほしい」

と言ったのは4日目ぐらいだったと思います。
 
相変わらず水は手に入らず、
関西なら手に入るかもしれないと
義理の母、義理の弟に連絡をして
水を送ってもらうことにしました。
ただ、関西でも水は入手困難で、
義理の弟がポリタンクに水を入れて
送る手配を取ってくれました。
 
徐々に物資の供給が始まり、
確か5日目あたりに電気復旧し、
しばらくたって水、ガスの復旧がされたような
感じだったと思います。
 
叔母の話によると給水車
毎回長蛇の列だったそうでが、
エコキュートのアドバイスをしておいたので
私の家族は並ばないで済んだようでした。
 
づっと断られていた救援物資配達の依頼も
配達担当の人がいつも気にかけてくれていて
受付開始をすぐに教えてくれました。
 
すぐに物資の発送をしました。
そして徐々にいつもの生活に戻れるよう
皆が動き始めました。
 
三陸沖の被災程ではありませんが
家族が受けた精神的なダメージ
経験をしていない私には想像がつきません。
幼い甥っ子には未だに
精神的なダメージが残っているようです。
 
今でも帰省をすると実家のヒビの入った壁を目にします。
未だにブルーシートのかかった家も見受けられます。
 
今では実家に帰っても震災のは誰もくちにしません。
ただ、あの時の救援物資は有り難かったと
それだけは毎回言われます。
 
南相馬には友人が住んでいます。
いい腕をもっている大工さんです。

昨年、救援物資を送ったお礼に
わざわざ八ヶ岳まで訪ねてくれました。
 
仕事はいくらでも作るから
八ヶ岳へ移住するようにと話をしたこともあります。
ただ、事情があって土地を離れることができません。
高い放射線量の地域に今も住んでいます。

「どうしようもないんだよね・・・」
 
と呟く友人の言葉が今も頭に残ってます。
友人は言いました。
 
「TVで報道されていることはまだいい方だよぉ、
実際には生き残っても苦しみに耐えかねて
自殺していく仲間も結構いるんだよねぇ・・・」
 
今できることってなんだろう。
たぶん、日々薄れていくこの記憶
この出来事を忘れないこと
なんじゃないかな
 
故郷言葉で言うと
 
「忘れちゃだめだっぺ」
 
 

2013年3月10日日曜日

「インパクト」

子供が持ちたがる道具の一つ
なんか鉄砲みたいで、カッコイイからかな
 
現場では大活躍の道具、
通称「インパクト
 

 
 
正式にはインパクトドライバー
 
一般の人には見分けがつかないかもしれませんが
似たもので「電動ドライバー」というのがあります。
通称「電ドラ
 
この二つ、能力が全然違うんです。
 
業種でわけると
インパクト=大工さん
電ドラ=電気屋さん
 
って言えばわかりやすいかな
 
インパクトの特徴はトリガーを引くと
「ガガガガガガガガァー!」
回転と同時に強い振動を与えて
ビスを打ち込んでいきます。
これが凄く強い力!!
 
電ドラの特徴はトリガーを引くと
「ウィーーーーーーーン」
と回転のみでビスを打ち込んでいきます。
優しい感じ・・・
 
大工さんのように分厚い木に長いビスを
打ち込もうとすると
インパクトドライバーじゃないと
最後まで打ち込むことができないんです。
たぶん、DIYで電ドラを使って
ビスが最後まで打ち込めず
困った人は多いのではないでしょうか
 
電気屋さんのように器具付けなどに
重宝するのが電動ドライバー、
力の加減がトリガーで出来るので
丁寧に取付けができるんです。
 
もちろん、これらの道具は
ビス(ネジ)の取付けだけではなく
ピット(先っちょ)を交換すると
ドリルになったりと大活躍。
 
プロが使う主なメーカーは
マキタ、日立あたりが殆どで、
たまにボッシュ、リョウビを見かけます。
結構、高価なものです。
 
DIYにはリーズナブルなものも沢山出ているので
探してみるといいかもしれませんね。
 
このインパクトが発明されて
現場の進み具合が飛躍的に伸びました。
 
道具の進歩は職人さんたちにとって
とても重要なものであることは
言うまでもありませんね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2013年3月9日土曜日

「愛」のある人

フェイスブック(FB)にも書いたのですが、
FBはあまり長く書くものでもないので、
ブログにはもう少し詳しくかいてみようと思います。
 
このブログの「今日の独り言」は自分が感じたことを
忘れないように書いているだけなので
ご意見等、色々あるかと思いますが
笑読していただく程度でお願いしますね。
 

今日は仕事の打ち合わせで、
久しぶりに「遣り手」の方にお会いしました。
 
 そういう人に会うと凄く刺激になるのと同時に
自分が目指しているところには
まだまだ到達できていないのだな~
と気を引き締めるきっかけになります(笑)
 
さて、その方にお会いしたのは実は三回目、
一回目は1分、挨拶程度
二回目は5分、ちょっとした会話
三回目は1時間半の打ち合わせ
 
良く、人の印象は最初の数十秒で決まるなんて
言われてますが、私は半分半分ですかねぇ。
 
だって人の印象なんてだんだん変わりますよ。
数十秒の後に知ることなんて山ほどあるし
意外な一面なんて良くあるじゃないですか。
 
でも一つ言えることは、良い印象を残す努力をしている人が
数十秒で相手に良い印象を残せているのだと思います。
 
なぜその方の強い印象が残っているかというと、
私がいつも気をつけていることを
スラスラっとやっているではありませんか!
 
ここからは私の持論なので正しいかどうかは別です(笑)。
 
私は最初の挨拶えを済ませたら
あまり人の真っ正面には立ちません。
 
「話をするときは人の目を見てはなしなさい!」
と良くと言われますが、正しいと思います。
でも全てがこの通りかと言えばど違ってる気がします・・・・
私、どちらかと言うとシャイなので。
 
もちろん挨拶を正面からしないと失礼ですが、
その後は別と言うのが私の持論です。
武道をやっているからでしょうかね、
正面に立つと、無意識に闘ってしまう気がします(笑)
どんな風に立つかはまた機会があれば書きたいと思います。
 
そして、今日お会いした方は決して偉ぶらず腰が低かった、
でも、ここもポイント!
 
私の知人で必要以上に腰が低く、大変謙虚な人がいます。
とてもいい人なのですが、こちらが申し訳ないと思うまで
謙虚になりすぎてもマイナスイメージです。
 
今日お会いした方の振る舞いは
最初の数秒間は腰が低く丁寧。
その後は胸を張って爽やかな雰囲気で対話をします。
最後に腰が低く、丁寧な挨拶で終わる。
 
緩急、メリハリがはっきりしていて
逆に印象に残りやすい、
しかかもマイナスイメージの言葉ではなく
プラスイメージの言葉でしめくくるのが良いと思います。
 
「ありがとうございます!」
「感謝ししてます!」
「お会いできてよかったです!」
 
 
 
基本的にビジネスの話なので、
何か目的があって話をするのですが、
このあたりの話の仕方もとても勉強になりました。
 
始めは熱くプロジェクトについて概要の説明をします。
これだけだと、「なんか一人でもりあがってるなぁ」
って思ってしまう人が殆どなのではないでしょうか。
とくに小さい単位で活動をしていると
こうなるパターンが多いように思います。
 
でも今回はそれとは違いました。
皆が「それってどうなの・・・」と思う絶妙のタイミング
事の真意を伝えてくるんです。
 
するとどうだろう、
まわりの人がいつの間にかいっちょやったろうか!
と同じ方向をむいているんです。
 
もちろん、そう思わせるための
バックボーンはあるはずです。
陰ながら努力をしてるんだと思います。

1.膨大なマーケティングリサーチをもとに発言している
2.でもそれを嵩に掛けず、さらっといってのける(これがカッコイイ)
3.基本笑顔が中心、笑顔と真顔のつかい分け...
が絶妙
4.意図的に話を脱線させているように見えるが、実は話が通っている
5.体全体で相手に伝えようとするが、実にスマートなジェスチャー
6.人からの意見を引き出すのが上手
7.その意見を決して否定をせず、上手に集約していく

 
 基本、トップの発言は強く
それに流されてしまう人が殆どですが、
威圧感を消して、上手に人から意見を聞き出し、
良い意見があれば自分の発想に肉付けしていく。
それも短時間で・・・
あと付け加えるとしたら
 みだしなみ、持ち物、ライフスタイルの話など
下手すると嫌みになりがちなのですが、
どれ一つをとってもスマートなんです。
つまり印象が良い。

威圧的にリーダーシップを取ることは実は簡単で、
本当に難しいのは相手に自分を好きになってもらって
リードする事だと思います。
 
嫌われるのは簡単だけど、
好かれるのって大変ですもんね。信頼も同じ。

同じ物をつくるにしても、
支配するものが恐怖信頼ほどの違いがあれば、
きっと似て非なるものになるのだろうと思います。

10人、100人、1000人、人の束ね方は千差万別、
どれが良い悪いはないですが、
いずれの手法であっても、
そこに「」があれば必ず人はついてくると思います。
しめくくると、今日「」のある人に出会えたことは
私にとってとても良い日でした。


 
 


2013年3月5日火曜日

「ハルの気配」

 
今年は早めの春いちばんが吹いて
卒業式を始め、ひとくぎりのシーズンに突入しました。
 
ここ八ヶ岳の春は世の中の春よりも
少し遅れてやってきます。
 
寒い冬を雪の下で堪え忍び
背伸びをするかのように
を開かせるのは少し先、
 
朝、目が覚めたころでも
外のあらゆる物が凍り付いています。
 
でも、そんな中
私なりにそれを感じる春間近の合図があります。
 
午前10時
コーヒーをのみたくなるこの時間、
ふとウッドデッキに目をやると
ツルツルに凍っていたウッドデッキが
徐々に上がった気温と共にとけ始め
太陽の光に反射してキラキラいて言います。
 

 
 
ああ~ ハルの気配

アイアンウッドのデッキ材は
水に濡れると綺麗に輝いてくれます。
船の甲板にも使われる屈強な

長くつきあう腕時計みないな感じ。
長くつきあえる友達みたいな感じ。

今日はお前に乗って、
ハルの兆しを感じながら
コーヒーをいただくとしよう。
 
そろそろ春を待っていた仕事も始動を始める頃。
コーヒーものんで充電も完了出来たことだし、
さて、ハルモードで始動!!
 
 


2013年3月1日金曜日

「さしがね」

地味だけど格好いい道具
 
動物の中で、唯一人間だけが
90度を作り出すことができる生き物です。
 
90度に囲まれた空間で長い時間を過ごしている
ことを意識したことがあるでしょうか?
よくよく考えると不思議だなぁと思います。
 
角度を作る技術、特に匠たちのにとっては
この道具が無ければ仕事が成り立たないのです。
 
今日、の道具は「さしがね
 
 
差し金、尺がね、指しがね、色々な読み方があるようでが
一般的には「定規」と言われることが多いのではないでしょうか。
プロの間では「さしがね」か「かねじゃく」と言われています。
 
これ一つで勾配や矩(カネ、いわゆる90度です)を出したり、
寸法を印していきます。
これを使ってアール(いわゆるカーブです)
を出している大工さんもいました。
堅そうにに見えて、結構まがるんです。
 
ノコギリやノミなどの花形スターが活躍する前の
段取り役、裏方さんのような存在。
 
この「さしがね」を使って
現場で実寸(1分の1スケール)を書いていく大工さんは
めちゃくちゃ格好いいのです!!
 
さしがね」の技術は奥が深く、
全ての使い方を熟知するのは大変なようです。
 
地味だけど、建築ではなくてはならない道具
身近でこんな人ががいたら絶対にカッコイイ存在。
さしがね」でした。